クリスチャン2世の葛藤

クリスチャン2世の自分が感じる生きづらさを克服しようとするブログ

生い立ち(社会人〜現在)

社会人〜現在

大学を卒業し、一般の民間企業に就職してサラリーマンになった。就職先の都合により、地元や母教会のある土地からは遠くはなれ、特に知り合いも居ないところで生活をするようになった。

私は「クリスチャンだから教会を見つけられれば、見知らぬ土地でもそこで生活していける。そしてそういう教会が必ず見つかる。」そう思っていた。ただ牧師先生には今の教会を離れることに対して少し警告されていた。「教会生活を中心に考えて仕事や生活する場所を選びなさい」とのことだった。案に今の教会から離れないでということを言っていたのだと思う。

私は引っ越してから数ヶ月間、教会を転々とした。いろんな教会を見る中で、やはり教団や教会によって全然雰囲気が違うのだなぁと思いつつもある程度信仰や考え方の合う教会に続けて通うようになった。ただ、そこで仕えていくという確信はなく、母教会にお世話になったという思いが強かったので転籍はしなかった。

その間に会社員生活も送っていった。

社会人と大学生の違いとして実感するのは、社会人はいろいろな人とうまく付き合って仕事をしていかなければならないということである。私は人の気持ちが分からないと言われることがあり、少しコンプレックスに感じていた。なのでせっかく色んな人と付き合うのだからその人達がどういう気持ちなのか分かるようになろうとした。

そこでの人付き合いを通して、自分の家庭環境、育った環境、考え方があまりにも一般とかけ離れているとの認識が深くなっていた。 また、人の気持ちをわかろうとしすぎるあまり自分の気持ちがよくわからないという状態に陥っていった。

“この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。”(ローマ 12:2) という聖書の言葉があるが、この視点から見れば私はこの世と調子を合わせていった。私がこの言葉に従おうとすると現実問題としてその職場で浮いてしまい、頑なになってクリスチャンとこの世の人という構図で人を突き放してしまうと思った。

この世の人の感覚をつかもうとしているうちに、「自分はクリスチャンホームの中で抑圧され、歪んだ関係の中で育ってきた」と思えるようになってしまったのである。

どのように歪んでいたと感じるかは以下の記事に集約されている。「教会で無菌培養され、現実とのギャップに苦しんで病んでしまう人」の方に私は当てはまる。多少の違いはあれど、だいたい同じである。 voiceofwind.jugem.jp

以上が私の現在までの簡単な生い立ちである。

このブログを書こうと思ったのは、吐き出さないといろんなことが頭の中でぐるぐるしてしまい、本当に精神系の病気になってしまいそうだったからである(すでに不眠症には悩まされている)。またこのような悩みを理解してくれる人がリアルに居ないため、ブログしかないと思った次第。。 (教会の人にはただ心配されるだけで、理解はされない。同じ境遇の人は既に教会を離れているし、社会全体としてみたらレアケースなのでそんな人は見つからない)

というわけで、色んな思いを吐き出していこうと思う。そして全てを受け入れて前向きに人生を送れるようになろうと思う。