クリスチャン2世の葛藤

クリスチャン2世の自分が感じる生きづらさを克服しようとするブログ

進撃の巨人に見る2世信者の苦しみ

進撃の巨人の23-25巻を読んで、色々な伏線が予想外の形で回収されていって、すごく面白い展開だなーと思いつつ、どこか他人事でないように感じた。

冷静に考えてみると、ライナーの人生と心境が2世信者である自分と似ているのだ。

ライナーの人生と心境(ネタバレ注意)

ライナーはマーレで生まれたエルディア人で、親から名誉マーレ人になることを期待されて育った。 「エルディア人には悪魔の血が流れていて、エルディア人がしてきたことを償うにはマーレの戦士になり、 島にいる悪魔の末裔に制裁を与えなければならない」と親の強い願いを言い聞かされた。ライナーはその期待に応えようとした。

結果として他のどの戦士候補生よりも強い忠誠心を示し、戦士になり、島に派遣された。

ライナーはなるべく島のエルディア人になりすますために、本来の目的を隠し、島のエルディア人と接した。 マーレの戦士として島のエルディア人とは一線を引いていたが、徐々に島のエルディア人にも普通の暮らしがあり、思いやりがあり、楽しみがあり、悲しみがあることに気がついてしまった。

そして、自分が抱いた忠誠心は何だったのだろうと疑念をいだき、自分がしてきたことの取り返しのつかなさに絶望した。

私の人生と心境(似せている部分もある)

私はクリスチャンホームに生まれた人間で、親からクリスチャンとして信仰を持つことを期待されて育った。 「人間には罪があり、滅ぶべきものである。罪から救われるにはイエス・キリストを信じ、クリスチャンとして歩まなければならない。 クリスチャンはこの世と調子を合わせず、みこころに従わなければならない」と親の強い願いを言い聞かされた。私はその期待に応えようとした。

結果として、(ライナーのように特別に強い信仰を持ったわけではないが)、自分で信仰告白し、クリスチャンとしてこの世に遣わされた(社会に出た)。

私は社会人としてうまくやるために、信仰を隠し、この世の人たちと接した。 クリスチャンとしてこの世の人とは一線を引いていたが、徐々にこの世の人にも普通の暮らしがあり、思いやりがあり、楽しみがあり、悲しみがあることに気がついてしまった。

そして、自分が抱いた信仰とは何だったのだろうと疑念をいだき、自分のこれまでの人生の取り返しのつかなさに絶望した。

自分と重なる部分

似ているポイントは以下だと思う。

  • 親が強い信条を抱いていて、日頃から自分に言い聞かせている
  • 信条に自虐と排他的な救いがある
  • 外の世界をよく知らないうちに親の信条を自分のものにする
  • 外の世界を知っていくうちに、自分の信条が崩れ去る
  • 崩れ去った信条を親や他の信仰者に伝えることができない
    • おそらく伝わらないし、伝わったとしても自分と同じ以上の絶望を味わうだけ
  • 居場所がどちらにも無くなり、生き方が分からなくなり死にたくなる

私の場合の違うところとしては、

  • 殺すほどの排他性はないのでだいぶマシ
  • 物語ではなく現実問題である

というところだと思う。

イスラム過激派等の人を殺しかねない宗教の信仰が失われたら進撃の巨人と同じ状況になると思う。

ユダヤを取り巻く世界が元ネタになっているという説もあり、そりゃあ似るよなぁと思った。